自分に矛盾を感じ、社会に矛盾を感じながら生きることに疲れ果てて、受け入れて割り切っていけないのは弱いからなんだ。
自分は特別な人間なんかじゃなくて、みんな根源的な矛盾を抱えて生きてる。矛盾を感じないのは、寛容だからで、本来そうあるべきなんだと思う。矛盾を受け入れる寛容さが、純粋ってことなんじゃないかなと。自然な状態っていうか。いろんなところに引っかからない人っていうのは、鈍感なんじゃなくて強いんだ。もっと大きい人間(心が豊かにな人のことかな…)に成長したい。
こんなことを考えたのは、もう3年も前だ。気付いてたんだよ、ずっと前に。だけど、何も変わってない、強くなりたいと思って、考えてるだけで動けてない。弱さにとりつかれてる。
もちろん今からでも、突っ走ることならできるけど、息を止めて走る(考えることを止めて動く)のはもう嫌だ。不器用だし、不寛容だし、つまり弱いから、考えることを止めなきゃ動くことができない。そんな風に頑張っても息切れする。考えることを止めていた自分に気付いたとき、頑張ったことすら忘れて後悔する。そんな走り方はもう嫌だから、ずっと動き出せてないのかもしれないと思った。
考えることを止めないまま、戦いたい。ああ、強いから戦うんじゃなくて、戦うから強くなれる。そのとおりだけどさ、うまくいかないよね。
一番大切なことは、自己中心的にならないことだと知ってる。人のために動くことで変わっていけると知ってる。
自分自身に余裕がないからといって人のために動けない弱さ、無慈悲。それが怖い。気付かないうちにそういう思考にやられてる。今は、考えることを止めたまま走るか、止めないまま走るか、どっちにしても基礎体力が足りないね。でも、準備体操なんてやってるヒマはないので、いきなり走り出さなきゃいけないところまできてるんだ。
