始めに言っておかなければいけないことは、「頭が良い」「成績が良い」「要領が良い」この3つは次元の違う話だということ。
「頭が良い」っていうのは、自分の中では本当に「頭が良い」ことで、それ以外の何者でもない。説明のしようがないよ、「頭が良い」んだ。昨日の友だちは「頭の良い・悪いは生まれつき」って言ってたけど自分はそう思わないなー。だけど、どこでそれが決まるのかは分からない。その定義が不明だからだ。
「成績が良い」のは、多分、「頭が良い」ことと「要領が良い」ことが複雑に絡み合って生まれた結果であって、それは単に「頭が良い」ことを表すものではないし、「努力」の指標でもない。
自分は成績が他人からの評価のように思えて、すごく嫌で仕方なかった。テストのために一生懸命勉強してることが自分のためとはとても思えなくて、高校時代は早く抜け出したいと思ってた。それは今も同じでレポート書いてると突然嫌気が差したりするんだけど、少しは大人になった気もする。
「要領が良い」ってなんだろう。
自分は少し授業に出れば試験の問題が分かる、少し考えて出てくる例のひとつ。
基本が少し分かれば応用が出来る。それができるからテストで点を取れる。
社会に出ればそれはつまり仕事のことであって経済的な面にも関わってくるんだろうと思う。
要点を抑えるのが上手い、っていうことだろうか。いずれにしても、この「要領の良さ」が、ほとんどの人がそう考えてるように、不条理に見える世の中をつくりだしてるのかもしれない。
「努力とは、結果を出すための行為」という考え方について。自分ははじめてこのことに気が付いた。だけど、努力って何だろう?
例えば昨日の友だちは「努力することが好きだ」と言っていた。自分も多分、嫌いじゃない。と言っても、ここで自分の指してるものは果たして努力と言えているのかが疑問なんだ。自分の好きなようにとことんまで突き詰めて話を進めることは好きだし、こうやって考えてる時もそうだけど、それが「努力」と呼べるものなのか、と思う。
何をどうすれば、不条理に見える世の中をみんなが納得いくように変えていけるのか、ということを考えるとほとんど何も考えが浮かばない。
それはきっと、人間の価値の基準は人それぞれだっていうことに結局行き着くからで。仕事が出来るから、金を持ってるから、頭が良いから、要領が良いから、幸せなわけじゃないっていうこと。自分は成績が良い方だったけど、それが何だ?、と思ってた。実際には空っぽの自分に自己嫌悪ばかりしてたし、要領ばかり良くて、周りの人間をがっかりさせてるなら自分なんて居ない方がいいとそういう風にしか思えなかった。
とにかく、努力は結果を出すためだけの行為ではないことは確かなんだ。
そして自分がどこに向かうを知らずに突っ走ることが出来たら、と思う。本当にこれは何度も書いてきたことだけど、そういう風に生きられたらと、心底思う。そこから得られるもので満足できない自分になりたくない。
