広告は私たちに微笑みかける死体

広告は私たちに微笑みかける死体

著者/訳者:オリビエーロ トスカーニ

出版社:紀伊國屋書店( 1997-02 )

定価:¥ 1,835

Amazon価格:¥ 1,835

単行本 ( 238 ページ )

ISBN-10 : 4314007869

ISBN-13 : 9784314007863


内容(「BOOK」データベースより)
人種差別、戦争、エイズ―およそ企業広告とは縁遠い題材をとりあげ、センセーショナルな話題をよんできたベネトンのカメラマン、オリビエーロ・トスカーニ。つねに非難と称賛の嵐を呼んできたトスカーニが、はじめて自らの広告哲学を語る。

オリビエーロ トスカーニ (著), Oliviero Toscani (原著), 岡元 麻理恵 (翻訳)
単行本(ソフトカバー): 238 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 紀伊國屋書店 ; (1997/02)

広告、それは香水をつけた死体である。死体を見たものはかならず、「まるで生きているみたいだ。微笑んでいるようじゃないか」と言うものだが、広告にも同じことが言える。広告は死んでいる。けれど、いつも微笑みかけているのだ。(本書より)

ベネトンの一連のキャンペーンを行った広告写真家、オリビエーロ・トスカーニはエイズ、戦争、人種差別・・・広告においてタブー視され続けてきたテーマを初めて広告に持ち込んだ人物である。彼は賞賛もされたが、あらゆる非難を受けた。広告掲載拒否はもちろんのこと、ベネトン不買運動まで起こしてしまった。
自分は働いたこともないので、広告業界で真面目に働いてる人のことを思えば、広告はヒマの垂れ流しなんて言えないけど、この本を読むと確かに、紋切り型の広告がいかに多いことかと気付かされる。
最初の章の、広告で謳われている世界を組み合わせた文章は、本当によく考えられたものだし、あんな発想は保守と偏見の中にあってはなかなか生まれてこないものだと思う。
その広告哲学・ベネトンとの関係。恵まれた人だと思う。枠をぶち壊すことに対してほとんど迷いがない(本の中には少しだけ書かれていたけど)。

これは、「学びについて」 でも書いたことで。
マスメディアや広告業界は、消費生活への斡旋・ウソ・脅し・まやかしの夢の世界を描き続ける。その犠牲になっているものや、忘れられた議論のことはさておいて、消費者に生活様式や社会システムを押し売ろうとしている。もはや画像は事実に完全に置き換わっていて、何が真実かを見極めるのは至極困難で。どんなにそういう世の中との関係を絶とうとしても、あらゆる場所に広告は存在するし、無意識的に発せられたニュースの中にも、オリビエーロの言うところの「罪」がある。発信する側も受信する側も、それに気付いているにしろ気付いていないにしろ、ひたすらにその「罪」に荷担している。

彼はモノを売るためではなく表現手段として広告を考えた。広告は芸術にもなりうるし、メッセージを発することに何の問題があるっていうのだろうか、と。
ニュース雑紙や新聞に掲載される埋もれてしまっている報道写真を広告に使い、この現実を見なさい、と発信した。 その裏側には、すべてがジャンル分けされ、凝り固まって将来性の見えない世の中への反抗心がある。受動性・革新性・創造性、それらの言葉によって形容される精神で立ち向かっていった。真実を伝えるメディアとしての広告を提案するオリビエーロは少し過激なのかもしれないけど、忘れられている議論(つまり無関心)に対して、戦いを挑む姿勢には学ばなくてはいけない。

違いをつくらなければならないのは、本物の広告、つまり企業の社会やものづくりに対する姿勢、企業の独創性や哲学だろう。ところが企業は我勝ちに競争し、最悪なことにその競争は気休め的な売上記録のなかでおこなわれるのだ。

牛肉ビジネスによる地球の植民地主義(ハンバーガーのために、ラテンアメリカの農民の主食が犠牲になっていること)を知っても、自分たちはいつもマクドナルドを食べたくなるし、のどが渇いたらコカ・コーラを飲む。オリビエーロの批判精神と行動力をもってしても、すぐに全てを変えることなどできないことは、本人がいちばんよく分かっているみたいだ。大衆を白痴化していくメディアと自社戦略のイデオロギーたる企業の世界は、頑なにこの改革を拒んでいる。当然、今の自分にできることなど何一つなく、あらゆる「罪」に荷担しながら生活するしかない。だけど、この本を読んで、現実を認識しようとする努力が、全てを変えていくと信じたいと思わせてもらった。

もうひとつ。写真の力は、使いようによっては悪となり善となると戒めている。映像が現実に置き換わっているこの世の中にはとても批判的だけど、この「写真の力」について、この人は絶対的に信じている。それは広告についても人間についても同じで、信じているから批判的なんだと思った。こんな大きな勇気と才能を持ち合わせている人と同じ手段を持てることを、誇りに思った。