悩んでもがいて苦しんで

長所: 物事を順序立てて考える
短所: 繊細すぎる
↑高校の時に親がこう書いてました。

心を開くってことはどんなことだろうって思う。

写真が好きだ。
自分が写真に向いてるかは分からないけど、好きで信じられる手段。少なくとも言葉よりは。

写真には全部出てしまうけど、隠すこともできると思う。出さないことは違う。
感情も価値も隠された嘘さえも作られた現実で、それが出てないものは写真じゃないと思う。
絵画との違いはここかもしれない。写真には、その現実が作られた過程はまったく関係がない。.
写真は、その現実をどう見つめるのかを切り取っている。そこから、真実が生まれる。
でも、意味なんてないと思う。

問題はきっとシンプルなのに、解くのは難しいから遠回りをしてしまう。
悩むのは悪いことじゃないっていうのはネガティブなのにポジティブ。

雨が好きです

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5月が大嫌いです。恐怖です。
もう早くも、「一瞬で終わりにしてしまいたい」気分に襲われたりする。
4月30日から5月1日の変化が、問題じゃないことは分かってるんだけど、
もうその響きだけで負けそうになります。弱すぎます。
とにかく、今は言い訳しといた方が気が楽なので、このままで行こうかと。
なんにしても、春は憂鬱と眠気と期待と不安と決意が入り交じる季節。

いろいろ考えて、泣きたくなって、一人で思いっきり雨に濡れたくなる。
でも、一人で雨に打たれながら考えることは、不思議とネガティブじゃない。
多分ネガティブなんだけど、まだ、そのありのままを受け入れようと思える。

だから、最近、雨が好きです。

(同じ写真です。モノクロとカラーどっちにするか決めかねる…)

教室はもっと明るい

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本当は、もっともっと実践的なこと、やりたいことがあるはずなのに、ここに居続ける意味はあるんだろうか。
と、自問自答すべきなんだ。 勉学ってなんだろう、学問ってなんだろう。

いや、ここにも、あるんだよね、本当は。考えることは嫌いじゃない。というか、大好きだ。
この最高の環境で、先生方の大多数はいい講義をしてくれてる。それも分かってる。
だけど、受け身で聴き続けても答えが出ないことなんて、明白なことなんだよね。大学に入ってからほとんどすぐ、そのことに気付いてしまったんだと思う。
なのに、学問は果てしない道に思える。研究するということはそういうことだから、当然のことだけど、ゴールが全然見えない。まだ答えがない、というか、問題すらはっきりしてない。
だから、自分には、ずっとずっと、心の奥底に沈んでいて離れない無力感がある。自分が何かの本を読んだり、ものごとについて考えてみたりしても、それはたくさんある答えのうちのひとつでしかなくて、問題はもっと複雑で答えはもっと違うところにあるんじゃないかと思えば、数時間で書いたレポートに自信なんて持てない。
そのうちに、敗北感にとらわれて考えるのをやめてしまった。
それももう全部、言い訳なんだけどね、その単純な結果がこの立場につながってるんだと思う。

言い訳しないとやってられないのかって話ですけど、やってられませんよ。だって、何の理由もなく、人の金で生活する時期はもう過ぎてると自覚してるから。それだけじゃなくて、もちろん良い意味での言い訳っていうのも必要だと思う。大きなことを言えば、自分の存在価値みたいなものは、全部生きるための言い訳なんだと思う。

とにかく、無力感に打ち勝つには。
まず、自分の問題をはっきりさせたい、と思う。
もうひとつ。現時点で納得いくまで考えて出した結論には自信を持とう。
自分で出した答えは、自分にとって全てであって、人の出した答えよりもリアリティーがあるはずなんだ。そのことに確信が持てるように、やるべきことを全てに優先してやっていけば、だんだん自分のやりたいことが見えてくるはずだと思う。

ここ数日。。。

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なんか、しんどい。
いや別に、しんどくもない。
というか、しんどくてしょうがない。

こういうとき、原因が分からないのが一番困るわけで、何が自分の中でモヤモヤしてるんだろうって考えて。気になることを箇条書き。

就職・学外展・写真・バイト・授業・学会活動・親孝行・折伏
雨・寒い・部屋が汚い・遊びたい・パソコン…とか。
ていうか、これ書いてたらきりがないことに気が付いた。全てを何とかしたいんだ。

でもね、昨日の本幹を受けて、自分は本気で変わりたいと思ったし、変わろうと決意した。
だから、もうなんていうか、簡単に言えば、負けたくない。
それらすべてに押しつぶされないように必死にもがいてる。

現在のデスクトップは、「悩みをつき抜けて 歓喜に到れ」というベートーベンの言葉。
第14回創価芸術展の実行委員長である30期書道部伊藤亜由美さんの書道の作品をちょっとアレンジして置いてみた。

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(2005/10/17 04:26:13) デジカメの画像、16:9アスペクトというワイドな画像なので、縦のものだと幅450pxに合わせて縮小してもやたら大きくなっちゃうね。少し、見づらいかな。
ちなみに、普通のデジカメのアスペクトは4:3で、ワイドテレビの画面は3:2。16:9はさらにワイドで、映画スクリーンとかプラズマワイド(?)の比率と同じ。
LX1には、3:2や4:3のアスペクトで撮る機能も付いてるけど、16:9で撮ると広角28mm(35mm換算)のちょっと広めの画角になる(それ以外のアスペクトだと28mmにならない)。フィルムの一眼レフでもいつも28mmレンズを使ってる自分としては、この広めの画角に慣れてしまっていて、なかなか離れられないようですな。

足りない

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写真は、先日後輩がうちにきてくれたとき作ってくれた焼きうどん!
(ちなみにカメラはPanasonic DMC-LX-1、オリジナルの画像じゃないです)

ダメ人間ですわー。9日から何も食べてなかったから後輩を誘って(誘われて?)ご飯食べに行った。無理矢理食べたけど胃が動かなくて、池田講堂のトイレで……(言えません)。
まあこんな時間に起きてる時点で、ダメ人間。家に帰ってから即落ちして、さっき一時間ぐらい前に目が覚めた。ミーティングするはずだったのにね。ありえない。
なんかこう、最近そういうの多いね。動き出す5秒前に寝てしまう。体がついていかないのか、なんなのか。
とにかくね、ダメ人間だね。はぁ。

「なんか足りない」って思ってしまうとき。

映画について考えたこと

「I am Sam」を観て、考えた。映画の内容についてじゃなく、映画について。

感動系の映画について、別にキレイ事だとか偽善だとかそんなこと思ったことはない。キレイ事や偽善と言わてれるものがなければ世の中はどうなっちゃうのよって思う。気付いてるならお前が発信しろよと言いたい。
正しいことは正しいし、それを認めなきゃ。もちろん自分はキレイ事とか偽善とかそういうことに対して敏感だと思ってるし、嘘は本当に大嫌いだけど、真面目にやってる人を馬鹿にするような社会は最低だと思うからね。

ただ、映画に関してのみ言えば、感動系の映画が“直球”とか“王道”みたいに思ってる人も少なくないだろうけど、自分にとっては、設定が大げさだったり無理矢理感があって、そうは思えない。
いつものHappy Endingとか山場(泣かせどころ)にはみんなもう飽きてるんじゃないかなと思う。映画はエンターテイメントなワケだし、社会に問題提起をすることも大切だけど、観客を楽しませることに徹してない映画が多すぎると思う。もっと簡単に言えば、子供とか家族とか友情とかその類の話題を出せば、手を抜いても泣いてくれる人はいるワケで、心を揺り動かしたいと思うなら徹底したこだわりを見せてほしいと思うんです。
だからといってSTAR WARSとかそっち系が好きなワケでもなく。

そもそも、映画に何を求めてるのかって話なワケだけども。

リアルな現実を見せるもよし、理想的な世界を描くもよし、自分なりの批判を発信するもよしであって、何をテーマにしてもどんな手段で伝えようと誰も文句は言えない。エンターテイメントっていう言い方はあまり好きじゃないけど、要は、芸術の根本的な要素として見る人に楽しんでもらうこと(必ずしもポジティブな方法じゃなくてネガティブなやり方でもいいと思う)が大切なんだと思う。楽しんでもらうというか、うーん、言葉では説明しにくいけど、映画ならその2時間という時間を映画を観なかったときより少しでも有意義なものにすることっていうか。うん。これは映画だけじゃなくて、写真とか他の芸術にも言えることで。
結局、方法論なのかなって思った。伝えたいことを伝わりやすいこととか(いろいろ方法はあるだろうから分からないけど)、さっきも少し書いたけどこだわりみたいなところを観てるんだと思う。
もちろん伝えたいことが正しいか間違ってるかも大切なことではあるんだけど、正しくても伝わらなきゃ意味がないからね。

そうやっていろいろ考えたら、やっぱりスタンリー・キューブリックはすごいなと思う。
自分にとってはあれが“直球”。音楽におけるミッシェルやブランキーと同じ。

あー文章がやたら分かりづらいね。