「I am Sam」を観て、考えた。映画の内容についてじゃなく、映画について。
感動系の映画について、別にキレイ事だとか偽善だとかそんなこと思ったことはない。キレイ事や偽善と言わてれるものがなければ世の中はどうなっちゃうのよって思う。気付いてるならお前が発信しろよと言いたい。
正しいことは正しいし、それを認めなきゃ。もちろん自分はキレイ事とか偽善とかそういうことに対して敏感だと思ってるし、嘘は本当に大嫌いだけど、真面目にやってる人を馬鹿にするような社会は最低だと思うからね。
ただ、映画に関してのみ言えば、感動系の映画が“直球”とか“王道”みたいに思ってる人も少なくないだろうけど、自分にとっては、設定が大げさだったり無理矢理感があって、そうは思えない。
いつものHappy Endingとか山場(泣かせどころ)にはみんなもう飽きてるんじゃないかなと思う。映画はエンターテイメントなワケだし、社会に問題提起をすることも大切だけど、観客を楽しませることに徹してない映画が多すぎると思う。もっと簡単に言えば、子供とか家族とか友情とかその類の話題を出せば、手を抜いても泣いてくれる人はいるワケで、心を揺り動かしたいと思うなら徹底したこだわりを見せてほしいと思うんです。
だからといってSTAR WARSとかそっち系が好きなワケでもなく。
そもそも、映画に何を求めてるのかって話なワケだけども。
リアルな現実を見せるもよし、理想的な世界を描くもよし、自分なりの批判を発信するもよしであって、何をテーマにしてもどんな手段で伝えようと誰も文句は言えない。エンターテイメントっていう言い方はあまり好きじゃないけど、要は、芸術の根本的な要素として見る人に楽しんでもらうこと(必ずしもポジティブな方法じゃなくてネガティブなやり方でもいいと思う)が大切なんだと思う。楽しんでもらうというか、うーん、言葉では説明しにくいけど、映画ならその2時間という時間を映画を観なかったときより少しでも有意義なものにすることっていうか。うん。これは映画だけじゃなくて、写真とか他の芸術にも言えることで。
結局、方法論なのかなって思った。伝えたいことを伝わりやすいこととか(いろいろ方法はあるだろうから分からないけど)、さっきも少し書いたけどこだわりみたいなところを観てるんだと思う。
もちろん伝えたいことが正しいか間違ってるかも大切なことではあるんだけど、正しくても伝わらなきゃ意味がないからね。
そうやっていろいろ考えたら、やっぱりスタンリー・キューブリックはすごいなと思う。
自分にとってはあれが“直球”。音楽におけるミッシェルやブランキーと同じ。
あー文章がやたら分かりづらいね。