2005年 7月のアーカイブ

テストが終わった=夏休み

テストが終わりました。さぼったテストは半分ぐらいありました。
結局変わらないじゃんかって言いたい人もいるだろうけど自分なりに必死にやった。今日はハービー・ハンコックのライブ断ってまでレポート出しに行ったんだから。
そんなことより、問題はテストのために勉強した自分にすげー後悔してることだ。もうこんな惨めな思いをしたくないし自分に負けたくないので、これからやることはすべてやろうと決意。読書、読書、読書。勉学です。何もかもがそこから始まるような気がしてならない。

単位云々の話でどうして苦しむんだろうって思うよりも、自分は今、何の苦労もせず英知が得られると勘違いしていないかと問いたいんだ。小学校から高校まで、良い成績を取るのに苦労しなかったのは単に要領が良かったから(テストで何を聞かれるかなんて少し考えれば簡単に分かることだよ)で、良い成績は苦労してない証拠だったんだ。
大学では高度な学問を修められると勘違いしていた自分がいた。学問とは、自ら問うて学ぶこと。何が問題なのかを見極め解決方法を探すことだ。
やるだけやらなかったら後悔するだけだね。もちろん、単位も取らなくてはいけないけど。
(ここまで読んで、自分で思ったけど大学入りたての1年生みたいなこと書いてるな)

というわけで、夏休みの目標は…。
自分を見つけよう。苦労しよう。楽しもう。勝とう。
題目・図書館・写真・旅・花火・後輩・創芸・その他諸々。

こういったシンプルな思考から逃げたくなる傾向に気がついた。
考えてないことが怖いのか、なんなのか。でも、今日は、そのままにしておこうと思う。

今宵、満月

今夜の月は、うっとりするほど綺麗。

ずっと月を見ていよう。

気分が下がってます

今日は、珍しく素直なタイトルにしてみた。実際は素直じゃない(言うまでもない)。
自分の反骨精神(ってなに?)を長い間くすぶらせていたことに気付いた。自分のことを平和主義者みたいな感じかと思ってたけどそんなんじゃなくて、アナーキスト(無政府主義者)だな、と思う。何でそう思うかって、最近苛つくことが多すぎるからだよ。

都合のいい時にだけ女性扱いされたいと思う。でもそれが女ってものだと思う、と何も分かっていないくせに分かってるようなことを言ってみたりする。

さっきバイトが終わった。今日は定時で帰って勉強したかったのにな…そううまくはいかない。学生だからってテスト期間中だからってそんな都合は自分の都合。でも自分ひとりを残業させることは会社の都合でしょ、って言ってやりたかった。早く来ていいなら早く出勤しますとも、それすらさせてもらえない自分に会社の都合を押しつけられても困るの。

そんなこと言ったって雇われてる身なんだから仕方ないよね、働くとか社会とかってそういうもんなんだよね、分かってるけど納得いかない。こんな自分はやっぱり社会では生きていけないと思う。どこかに逃げたい。

あ、テスト1つ目とレポート1本目を順調にクリアいたしました。すべてあなたのおかげです。ありがとう。
テストあと8つ、レポートあと3本(4本と思いきや、ひとつ勘違いしていたことが本日判明!)。
切り抜けます、頑張るんじゃなくて。ああ。そんなんでいいのかよ、いや、もう今さら何を言っても仕方ないのです。すべて自業自得であります。分かっています。
ちなみに明日は3時から。これを読んで私の行く末が気になる人は電話で起こしてください、もしくは試験の解答を教えてください。

気分が下がってるときは、変な敬語を使いたくなるのです、誰かに向かって書いてるわけでもないのだが。

あの頃ペニー・レインと

あの頃ペニー・レインと [DVD]

販売元:ソニー・ピクチャーズエンタテイメント( 2006-03-29 )

定価:¥ 2,000 ( 中古価格 ¥ 1,145 より )

時間:123 分

1 枚組 ( DVD )


1973年、弱冠15歳にして「ローリング・ストーン」誌の記者に抜擢され、あるロックバンドのツアーの同行記事を書くことになった少年ウィリアム。旅の中で知るミュージシャンたちとの友情、ジャーナリストとしての葛藤、そしてせつない初恋が当時のロックとともにつづられる佳作映画である。

監督・脚本は、トム・クルーズ主演『ザ・エージェント』のヒットで一躍表舞台に踊り出たキャメロン・クロウ。「波乱万丈な人生への穏やかなる賛歌」といった趣の作風は前作から継承しつつ、脚本家時代(ティーン・ムービーの先駆けである『初体験 リッジモンド・ハイ』などを手がけている)で得意とした青春もののみずみずしさも感じさせる、これまでの集大成といえる力の入った作品に仕上がった。それもそのはず、これは映画人であると同時にジャーナリストとしての顔ももつ彼の自伝的な作品なのだ。

基本設定はもちろん、ペニー・レインという少女の存在や、母親が彼の年齢を彼自身に偽っていたなどの細部に至るまで、ほとんどが事実に基づくものだという。それ故だろうか、主役から脇役に至るまで登場人物ひとりひとりが人間臭く、そして誰にも必ずひとつは見せ場があるのがなんとも心憎い。(安川正吾)

原題は、「Almost Famous」。面白かった。最初のスタッフロールって言うんですかね、ノートに手書きで名前を書いていく映像がそのままスタッフロールになっていて面白かった。面白いポイントは満載だったけど、とりあえずロックンロールって…みたいな。
これが実話だもんな、すごいよね。

映画について考えたこと

「I am Sam」を観て、考えた。映画の内容についてじゃなく、映画について。

感動系の映画について、別にキレイ事だとか偽善だとかそんなこと思ったことはない。キレイ事や偽善と言わてれるものがなければ世の中はどうなっちゃうのよって思う。気付いてるならお前が発信しろよと言いたい。
正しいことは正しいし、それを認めなきゃ。もちろん自分はキレイ事とか偽善とかそういうことに対して敏感だと思ってるし、嘘は本当に大嫌いだけど、真面目にやってる人を馬鹿にするような社会は最低だと思うからね。

ただ、映画に関してのみ言えば、感動系の映画が“直球”とか“王道”みたいに思ってる人も少なくないだろうけど、自分にとっては、設定が大げさだったり無理矢理感があって、そうは思えない。
いつものHappy Endingとか山場(泣かせどころ)にはみんなもう飽きてるんじゃないかなと思う。映画はエンターテイメントなワケだし、社会に問題提起をすることも大切だけど、観客を楽しませることに徹してない映画が多すぎると思う。もっと簡単に言えば、子供とか家族とか友情とかその類の話題を出せば、手を抜いても泣いてくれる人はいるワケで、心を揺り動かしたいと思うなら徹底したこだわりを見せてほしいと思うんです。
だからといってSTAR WARSとかそっち系が好きなワケでもなく。

そもそも、映画に何を求めてるのかって話なワケだけども。

リアルな現実を見せるもよし、理想的な世界を描くもよし、自分なりの批判を発信するもよしであって、何をテーマにしてもどんな手段で伝えようと誰も文句は言えない。エンターテイメントっていう言い方はあまり好きじゃないけど、要は、芸術の根本的な要素として見る人に楽しんでもらうこと(必ずしもポジティブな方法じゃなくてネガティブなやり方でもいいと思う)が大切なんだと思う。楽しんでもらうというか、うーん、言葉では説明しにくいけど、映画ならその2時間という時間を映画を観なかったときより少しでも有意義なものにすることっていうか。うん。これは映画だけじゃなくて、写真とか他の芸術にも言えることで。
結局、方法論なのかなって思った。伝えたいことを伝わりやすいこととか(いろいろ方法はあるだろうから分からないけど)、さっきも少し書いたけどこだわりみたいなところを観てるんだと思う。
もちろん伝えたいことが正しいか間違ってるかも大切なことではあるんだけど、正しくても伝わらなきゃ意味がないからね。

そうやっていろいろ考えたら、やっぱりスタンリー・キューブリックはすごいなと思う。
自分にとってはあれが“直球”。音楽におけるミッシェルやブランキーと同じ。

あー文章がやたら分かりづらいね。