2006年 6月のアーカイブ

悩んでもがいて苦しんで

長所: 物事を順序立てて考える
短所: 繊細すぎる
↑高校の時に親がこう書いてました。

心を開くってことはどんなことだろうって思う。

写真が好きだ。
自分が写真に向いてるかは分からないけど、好きで信じられる手段。少なくとも言葉よりは。

写真には全部出てしまうけど、隠すこともできると思う。出さないことは違う。
感情も価値も隠された嘘さえも作られた現実で、それが出てないものは写真じゃないと思う。
絵画との違いはここかもしれない。写真には、その現実が作られた過程はまったく関係がない。.
写真は、その現実をどう見つめるのかを切り取っている。そこから、真実が生まれる。
でも、意味なんてないと思う。

問題はきっとシンプルなのに、解くのは難しいから遠回りをしてしまう。
悩むのは悪いことじゃないっていうのはネガティブなのにポジティブ。

おまえは誰だ

何回戻ってる?
どうして分裂できない?

意味なんてない
無駄なこともない

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(2006/06/30 16:52:17)

踏みとどまる

今、あと少しでぶっ倒れそうになりました。
比較表現を使うなら、「38度の高熱の時より苦しい」。

信仰は、感情でも理性でもないというか、どちらでもあるというか。
それは、人生のすべてであって、対立するものがないように思います。
つまり、根本。言葉だと簡単だけど、それを証明するのはとても難しいことで。
普段はそれが何であるかを証明するために、対立する項目を立てて比較したり考えているから。

うまく言葉にできないけど、これは諦めとかじゃなくて。
勇気が湧くようで、締め付けられているのかもしれなくて。
信じている・信じていないということを、分かろうとすることは無駄なことだと思う。
大切なことは何なのか、ということも同じで。

いい意味での求道心を忘れてはならないけれど、今はもがくために必要なエネルギーが足りない。
無駄なことにも意味があって、何もかも理解を超えるけど、分かろうとするのは、もうやめようと思う。

ぐるぐる

眠すぎてぐるぐるするのに、寝たら2?3時間で目が覚めます。ここ2ヶ月ぐらいずっと。
まあいいや。よくないんだけど。それよりもなんか、精神的にぐるぐるしてる。

考えなければいけないこと、というか。今、何を考えたいのかよく分からなくなってるけど、そういう状態でもいちばん価値的という意味で、義務的に「考えるべきこと」について考えてると思う。
本当に回りくどい言い方になったけど、要は、自分は後ろを向いているワケじゃなくて、前を向いて立ち止まっている、ということを自分自身で確認して言い聞かせてる。

前にこんなことを言われたことがある。「心の扉」の話。
心の中には何枚かの扉があって、普通は20?30枚ぐらいの扉があって、その半分ぐらいをコントロールしながら開けたり閉めたりして生きてる。
この「扉」は、環境とか人間関係とか自分の感情とか変化とかに対応するためのもの、という感覚かな。少しニュアンスの多い話しだけども。
でも、自分にはこの扉が、ない。って言われた。全部流し込んだり全部吐き出したり。
だから疲れるんじゃないの? ってさ。

自分では、普通の人と変わってるところがあるとは思わないし、その人がそう感じたということに対して驚いた。
ただ、自分でも人より敏感なところがあると思うし、小さな変化に対して心を動かせる人になりたいと望んで生きてきた結果が、今の自分をつくってるのは間違いないことで。
扉の枚数はたくさんあっても少なくても、コントロールできててもできていなくても、いつもそれを開けていられる自分自身でいたい、と思う。
疲れるのは、扉の枚数やコントロールじゃなくて、ただ弱いからだと思うより他になくて。

その人にとって「扉」の話は、人間の心を理解して説明できる手段だし、納得できるものなんだよね。
素晴らしいものだと思ったのと反面、自分自身はいつもどんな手段で思考して説明してるのかって考えると、そういうものを全然持ってないことに気付く。
だから苦しい時はすでに、自分と周りの世界が言葉では説明不能になっていて、どこかに救いを求めてしまうのかもしれない。

とにかく。今思うこと。
心に「扉」があるとすれば、自分には扉がないんじゃなくて、人からは扉が見えないように隠してるのかもしれない。
自分自身に対しても、その扉はいつも閉まってる。開けたことがないから、今まで気付かなかったのかもしれない。

自分の中の何かが少しずつ歪んでるように感じる。人と比べて、というのもあるんだけど。
うまく言えないけど、人と話してても自分一人で考えてても何をしてても、想像力が足りないのか…ただバカなのか…弱いのか…とか、そういう風な考え方に偏っていく。
ネガティブとかポジティブとか、割り切る割り切らないとか、そういう二項対立にも答えはなくて。
でも結局、勝つか負けるかでいえば「負けない」ということで。
両方を抱えて生きよう。祈ろう。

何を待ってるのか

どんどん時間は過ぎていって、置いて行かれる感覚に酷く苦しめられる。

あなたが生まれて今日で8367日目です。人生はこれからです

8367日間、長いような短いような。10000日目は、大体27歳の11月か。どうなんだろう。
そういえば、人生カレンダーってあったな。普通の人はこれ見ると嫌な気分になるらしいんだけど、自分は別に何とも思わないなぁ。

何を待ってるのか知らないけど、もう嫌で嫌で仕方ないはずなのに、どうしても身動きがとれなくて、焦ってるのか自分に嘘をついてるのか、ワケが分からない。
朝起きて、授業に出て、クラブに顔出して、女子部の連絡して、家庭訪問して、唱題して、電話して、寝る。
そんな簡単なことが、今はできる気がしない。「今は」って言ってるけど、じゃあいつできるのか。何を待ってるのか。

落ちてる時ばっかりここに吐き出すことが多いのは、なんでだろうって思う。結局自己満なのかな。
本当はポジティブな言葉を生み出せる人になりたいんじゃなくて、ネガティブのままでいいと思ってる自分がいるような気がしてしまう。
何をどうすればいいとか、そういう具体的な話じゃなくて、思考と行動のバランスの話が好きみたい。
大目的に心を定めることができたら、思考と行動はバランスじゃなくて一致する、Def Techの言葉で言えば「合致する」。
「頭では分かってる」って思うけど、本当にそうなら心でも感じられてる。何かひとつでも実践できてるはずなんだと思う。

苦しくても人のために動く時、自分の力が発揮されて、本当の成長ができる、ということも同じで。
今までにその経験を少しでもしてきたなら、「頭では分かってる」んじゃなくて、行動できるはずなのに、と思う。
自分は何がしたいのか、ということを基準に考えてたら、自己中心的な完璧な世界を作り上げようと必死になってしまう。
「無我の境地」というのは、ただ夢中なんじゃなくて自己中心的なものから脱却してるから「無我」なのであって、すべてはそこに帰結する。
「無我」になりたい。ごちゃごちゃ考えないで済む。これ、逃げだな(簡単に気付くなら、考えなくていい)。

ああ。めちゃくちゃネガティブ