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2006-06
悩んでもがいて苦しんで
長所: 物事を順序立てて考える
短所: 繊細すぎる
↑高校の時に親がこう書いてました。
心を開くってことはどんなことだろうって思う。
写真が好きだ。
自分が写真に向いてるかは分からないけど、好きで信じられる手段。少なくとも言葉よりは。
写真には全部出てしまうけど、隠すこともできると思う。出さないことは違う。
感情も価値も隠された嘘さえも作られた現実で、それが出てないものは写真じゃないと思う。
絵画との違いはここかもしれない。写真には、その現実が作られた過程はまったく関係がない。.
写真は、その現実をどう見つめるのかを切り取っている。そこから、真実が生まれる。
でも、意味なんてないと思う。
問題はきっとシンプルなのに、解くのは難しいから遠回りをしてしまう。
悩むのは悪いことじゃないっていうのはネガティブなのにポジティブ。
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踏みとどまる
今、あと少しでぶっ倒れそうになりました。
比較表現を使うなら、「38度の高熱の時より苦しい」。
信仰は、感情でも理性でもないというか、どちらでもあるというか。
それは、人生のすべてであって、対立するものがないように思います。
つまり、根本。言葉だと簡単だけど、それを証明するのはとても難しいことで。
普段はそれが何であるかを証明するために、対立する項目を立てて比較したり考えているから。
うまく言葉にできないけど、これは諦めとかじゃなくて。
勇気が湧くようで、締め付けられているのかもしれなくて。
信じている・信じていないということを、分かろうとすることは無駄なことだと思う。
大切なことは何なのか、ということも同じで。
いい意味での求道心を忘れてはならないけれど、今はもがくために必要なエネルギーが足りない。
無駄なことにも意味があって、何もかも理解を超えるけど、分かろうとするのは、もうやめようと思う。
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ぐるぐる
- 2006-06-25 (Sun)
- Thoughts
眠すぎてぐるぐるするのに、寝たら2?3時間で目が覚めます。ここ2ヶ月ぐらいずっと。
まあいいや。よくないんだけど。それよりもなんか、精神的にぐるぐるしてる。
考えなければいけないこと、というか。今、何を考えたいのかよく分からなくなってるけど、そういう状態でもいちばん価値的という意味で、義務的に「考えるべきこと」について考えてると思う。
本当に回りくどい言い方になったけど、要は、自分は後ろを向いているワケじゃなくて、前を向いて立ち止まっている、ということを自分自身で確認して言い聞かせてる。
前にこんなことを言われたことがある。「心の扉」の話。
心の中には何枚かの扉があって、普通は20?30枚ぐらいの扉があって、その半分ぐらいをコントロールしながら開けたり閉めたりして生きてる。
この「扉」は、環境とか人間関係とか自分の感情とか変化とかに対応するためのもの、という感覚かな。少しニュアンスの多い話しだけども。
でも、自分にはこの扉が、ない。って言われた。全部流し込んだり全部吐き出したり。
だから疲れるんじゃないの? ってさ。
自分では、普通の人と変わってるところがあるとは思わないし、その人がそう感じたということに対して驚いた。
ただ、自分でも人より敏感なところがあると思うし、小さな変化に対して心を動かせる人になりたいと望んで生きてきた結果が、今の自分をつくってるのは間違いないことで。
扉の枚数はたくさんあっても少なくても、コントロールできててもできていなくても、いつもそれを開けていられる自分自身でいたい、と思う。
疲れるのは、扉の枚数やコントロールじゃなくて、ただ弱いからだと思うより他になくて。
その人にとって「扉」の話は、人間の心を理解して説明できる手段だし、納得できるものなんだよね。
素晴らしいものだと思ったのと反面、自分自身はいつもどんな手段で思考して説明してるのかって考えると、そういうものを全然持ってないことに気付く。
だから苦しい時はすでに、自分と周りの世界が言葉では説明不能になっていて、どこかに救いを求めてしまうのかもしれない。
とにかく。今思うこと。
心に「扉」があるとすれば、自分には扉がないんじゃなくて、人からは扉が見えないように隠してるのかもしれない。
自分自身に対しても、その扉はいつも閉まってる。開けたことがないから、今まで気付かなかったのかもしれない。
自分の中の何かが少しずつ歪んでるように感じる。人と比べて、というのもあるんだけど。
うまく言えないけど、人と話してても自分一人で考えてても何をしてても、想像力が足りないのか…ただバカなのか…弱いのか…とか、そういう風な考え方に偏っていく。
ネガティブとかポジティブとか、割り切る割り切らないとか、そういう二項対立にも答えはなくて。
でも結局、勝つか負けるかでいえば「負けない」ということで。
両方を抱えて生きよう。祈ろう。
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何を待ってるのか
どんどん時間は過ぎていって、置いて行かれる感覚に酷く苦しめられる。
あなたが生まれて今日で8367日目です。人生はこれからです
8367日間、長いような短いような。10000日目は、大体27歳の11月か。どうなんだろう。
そういえば、人生カレンダーってあったな。普通の人はこれ見ると嫌な気分になるらしいんだけど、自分は別に何とも思わないなぁ。
何を待ってるのか知らないけど、もう嫌で嫌で仕方ないはずなのに、どうしても身動きがとれなくて、焦ってるのか自分に嘘をついてるのか、ワケが分からない。
朝起きて、授業に出て、クラブに顔出して、女子部の連絡して、家庭訪問して、唱題して、電話して、寝る。
そんな簡単なことが、今はできる気がしない。「今は」って言ってるけど、じゃあいつできるのか。何を待ってるのか。
落ちてる時ばっかりここに吐き出すことが多いのは、なんでだろうって思う。結局自己満なのかな。
本当はポジティブな言葉を生み出せる人になりたいんじゃなくて、ネガティブのままでいいと思ってる自分がいるような気がしてしまう。
何をどうすればいいとか、そういう具体的な話じゃなくて、思考と行動のバランスの話が好きみたい。
大目的に心を定めることができたら、思考と行動はバランスじゃなくて一致する、Def Techの言葉で言えば「合致する」。
「頭では分かってる」って思うけど、本当にそうなら心でも感じられてる。何かひとつでも実践できてるはずなんだと思う。
苦しくても人のために動く時、自分の力が発揮されて、本当の成長ができる、ということも同じで。
今までにその経験を少しでもしてきたなら、「頭では分かってる」んじゃなくて、行動できるはずなのに、と思う。
自分は何がしたいのか、ということを基準に考えてたら、自己中心的な完璧な世界を作り上げようと必死になってしまう。
「無我の境地」というのは、ただ夢中なんじゃなくて自己中心的なものから脱却してるから「無我」なのであって、すべてはそこに帰結する。
「無我」になりたい。ごちゃごちゃ考えないで済む。これ、逃げだな(簡単に気付くなら、考えなくていい)。
ああ。めちゃくちゃネガティブ
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涙が流れるとき
昨日もらった手紙に、この歌詞が書いてあった。
コブクロ / 手紙
泣いてしまう程 辛いのは
1番がんばった日の証
そんな自分を 時々は
休めてあげなきゃダメだよ
毎日1リットルぐらい泣いてる(大げさ)。
頑張ってもいないのにな。なんでだろ。
人前で泣くことにすごく抵抗があったはずなのに、もうコントロールできません。
今週は、1日平均3時間睡眠。
起きてなきゃいけないわけでもなく、授業にも行ってない。
情緒不安定ってやつですか。
全然冷静になれなくて、人に話そうとしても言葉が出てこない。
やるべきこともやりたいこともやってないし、何もできてない。
申し訳なさばっかりだし、何が足りないかも分からなくなって、混乱。
感謝や決意はいっぱいしてるはずなんだけど。本当は。
「それ、うわべだけじゃないんですか?」 って自分に聞いても、
「違います。心から感じてます」 と返ってくる。
ここに吐き出して、また同じことを繰り返して、どこに向かえばいいのかよく分からなくて。
でも、ああ。別にもう死んじゃえばいいやって思うこともあるんだけど。
自分自身に正直に生きて、喜びも悲しみも全身で受け止めて、何が悪いのか。
それに耐えられなくなって、逃げてるのは自分自身の弱さでしかない。
頭では分かってても、動き出すのに必要な意味とか探ってみたりして、パンクする。
休みたいとかは思わないけど、ちょっと疲れた。だから、どうしていいか分からない。
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近況
最近のヘビーローテーションは、Elliott Smith です。
特にこの曲聴きすぎてヤバイデス
I’m never gonna know you now
But I’m gonna love you anyhowI’m here today and expected to stay on and on and on
I’m tired
I’m tired
Elliott Smith はすごくキレイで悲しい音。
自殺しちゃったんだよね…。
Last.fm は何がすごいのかまだよく分かりません。
が、iTunes で再生した曲がほぼリアルタイムに自分のページに表示されるプラグインによって、いろんな人と繋がる形式で。flickr の音楽版というか、流行のソーシャルネットワーキング。
Multi-Plugin for iTunes ていうものを入れて、見た目をよりMac風に変えてみたりした。
他にもいろいろスキンがあるみたいだけど、デフォルトスキン以外にするとビジュアライザが変更できなくなるから、困ったー。たまに歌詞見るのに iKara 必須だし。早くこれ直らないかな。データベース飛んだらかなり悲しいしって思っても結構ビビりながら、iTunes の再インストールしたのにダメだったよ。
ということで、今は、フォントとタイトルバーの文字を変える機能だけ使ってます。たまに強制終了になる。
そうそう、ソフト関連で言えば、FireFox に慣れてきて、やっとメインで使ってるけど、重いなー。
起動に30秒ぐらいかかってる気がする。拡張入れすぎなのかな?
でも、Tab Mix Plus のセッション復元機能がなかったらタブブラウザ使う意味があんまりないと思うし、All-in-One Sidebar とか All-in-One Gestures は便利すぎて手放せません。拡張何も入れてなくても結構メモリ使うから、カスタマイズ性が高いって言っても無理してやってる感じがある(ニュアンスな発言)。
Greasemonkey とかは、まだこれから。ていうか、その前にキビキビした動作がほしい。
パソコン買い換えたい。CPU置換とかもあるだろうけど、なんだかんだお金かかるし面倒だし。
ほんとにMacがほしいんだけど、お金がないな。今は、後期の…ね。そっちが大事。
授業行きたくない。生きたくない。
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梅雨入り
asahi.com:関東甲信地方・東北南部が梅雨入り – 社会
2006年06月09日10時34分気象庁は9日午前10時、関東甲信地方、東北南部が梅雨入りしたと発表した。
同庁によると、関東甲信地方は昨年より1日早く、平年より1日遅い。東北南部は昨年より6日早く、平年より1日早い。
梅雨です。思いっきり雨に打たれたい。
理性とか、感情とか。邪魔だよ。
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広告は私たちに微笑みかける死体
- 2006-06-02 (Fri)
- Books
著者/訳者:オリビエーロ トスカーニ
出版社:紀伊國屋書店( 1997-02 )
定価:¥ 1,835
Amazon価格:¥ 1,835
単行本 ( 238 ページ )
ISBN-10 : 4314007869
ISBN-13 : 9784314007863
内容(「BOOK」データベースより)
人種差別、戦争、エイズ―およそ企業広告とは縁遠い題材をとりあげ、センセーショナルな話題をよんできたベネトンのカメラマン、オリビエーロ・トスカーニ。つねに非難と称賛の嵐を呼んできたトスカーニが、はじめて自らの広告哲学を語る。
オリビエーロ トスカーニ (著), Oliviero Toscani (原著), 岡元 麻理恵 (翻訳)
単行本(ソフトカバー): 238 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 紀伊國屋書店 ; (1997/02)
広告、それは香水をつけた死体である。死体を見たものはかならず、「まるで生きているみたいだ。微笑んでいるようじゃないか」と言うものだが、広告にも同じことが言える。広告は死んでいる。けれど、いつも微笑みかけているのだ。(本書より)
ベネトンの一連のキャンペーンを行った広告写真家、オリビエーロ・トスカーニはエイズ、戦争、人種差別・・・広告においてタブー視され続けてきたテーマを初めて広告に持ち込んだ人物である。彼は賞賛もされたが、あらゆる非難を受けた。広告掲載拒否はもちろんのこと、ベネトン不買運動まで起こしてしまった。
自分は働いたこともないので、広告業界で真面目に働いてる人のことを思えば、広告はヒマの垂れ流しなんて言えないけど、この本を読むと確かに、紋切り型の広告がいかに多いことかと気付かされる。
最初の章の、広告で謳われている世界を組み合わせた文章は、本当によく考えられたものだし、あんな発想は保守と偏見の中にあってはなかなか生まれてこないものだと思う。
その広告哲学・ベネトンとの関係。恵まれた人だと思う。枠をぶち壊すことに対してほとんど迷いがない(本の中には少しだけ書かれていたけど)。
これは、「学びについて」 でも書いたことで。
マスメディアや広告業界は、消費生活への斡旋・ウソ・脅し・まやかしの夢の世界を描き続ける。その犠牲になっているものや、忘れられた議論のことはさておいて、消費者に生活様式や社会システムを押し売ろうとしている。もはや画像は事実に完全に置き換わっていて、何が真実かを見極めるのは至極困難で。どんなにそういう世の中との関係を絶とうとしても、あらゆる場所に広告は存在するし、無意識的に発せられたニュースの中にも、オリビエーロの言うところの「罪」がある。発信する側も受信する側も、それに気付いているにしろ気付いていないにしろ、ひたすらにその「罪」に荷担している。
彼はモノを売るためではなく表現手段として広告を考えた。広告は芸術にもなりうるし、メッセージを発することに何の問題があるっていうのだろうか、と。
ニュース雑紙や新聞に掲載される埋もれてしまっている報道写真を広告に使い、この現実を見なさい、と発信した。 その裏側には、すべてがジャンル分けされ、凝り固まって将来性の見えない世の中への反抗心がある。受動性・革新性・創造性、それらの言葉によって形容される精神で立ち向かっていった。真実を伝えるメディアとしての広告を提案するオリビエーロは少し過激なのかもしれないけど、忘れられている議論(つまり無関心)に対して、戦いを挑む姿勢には学ばなくてはいけない。
違いをつくらなければならないのは、本物の広告、つまり企業の社会やものづくりに対する姿勢、企業の独創性や哲学だろう。ところが企業は我勝ちに競争し、最悪なことにその競争は気休め的な売上記録のなかでおこなわれるのだ。
牛肉ビジネスによる地球の植民地主義(ハンバーガーのために、ラテンアメリカの農民の主食が犠牲になっていること)を知っても、自分たちはいつもマクドナルドを食べたくなるし、のどが渇いたらコカ・コーラを飲む。オリビエーロの批判精神と行動力をもってしても、すぐに全てを変えることなどできないことは、本人がいちばんよく分かっているみたいだ。大衆を白痴化していくメディアと自社戦略のイデオロギーたる企業の世界は、頑なにこの改革を拒んでいる。当然、今の自分にできることなど何一つなく、あらゆる「罪」に荷担しながら生活するしかない。だけど、この本を読んで、現実を認識しようとする努力が、全てを変えていくと信じたいと思わせてもらった。
もうひとつ。写真の力は、使いようによっては悪となり善となると戒めている。映像が現実に置き換わっているこの世の中にはとても批判的だけど、この「写真の力」について、この人は絶対的に信じている。それは広告についても人間についても同じで、信じているから批判的なんだと思った。こんな大きな勇気と才能を持ち合わせている人と同じ手段を持てることを、誇りに思った。
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夏が恋しい
- 2006-06-01 (Thu)
- Diary
気付いたら、6月になってた。あー6月になってよかった、って思う。
今日は、今年初めての真夏日になりそうで、もう日差しは痛いぐらいに照りつけて。
5月が嫌いだと書いたけど、とにかく散々だったと思う。
うん。最近雨が好きだから、梅雨も今から少し楽しみで。
早く夏になってほしいなー
あ、昨日久しぶりに花火しちゃったよ@@
スクエアな気分。
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- 自分で初めてやったから、色とかムラってる。まいいや。 10 mins ago
- @shima_ma ありがとー in reply to shima_ma 10 mins ago
- 髪の毛ピンクにした http://gdzl.la/8o1g77 24 mins ago
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