書きたいことがたくさんある。今しか書けないと思うから。
つまり、今しか感じられない気持ちをたくさん持ってる(と思う)。
「感謝」という言葉がある。謝意を感じる、ということで、簡単に言えば「ありがとう」ということ。
謝意とは、もちろん人などから受けた恩に対するお礼の気持ちという意味だけど、その反面、あやまちをわびる気持ちも含まれてる。
自分は、今、ものすごく感謝している。ただ、その、申し訳ない気持ちが多分に含まれている、というのが正直なところで。
申し訳ないと思う必要はないと言うだろうけど、今の弱い自分には必要だから、どうしてもそうなってしまう。
でも、そこから、自分を支えてくれてる周りの人への報恩が始まると信じるし、応えたい気持ちが自分を突き動かしてくれる。
言葉は不思議だ。言葉は気持ちから生まれたのか、気持ちが言葉から生まれたのか、分からなくなる。
前にも書いたことがあるけど、言い表せない概念は存在しない、ということを信じられない。言葉を本当に信じてないんだろうし、言葉が嫌いだからだと思う。
言い表せない感情の存在を否定されるのが、すごく嫌だ。まあ、今は、そんなのどっちでもいいんだろうと思う。
問題は、言葉がどう自分や他人に働きかけるかということで、言葉が自分を邪魔をする時もあれば、助けてくれる時もある。
自分が感じることがこの世の全てだというような、自信過剰な人間には、やっぱりなりたくないし、今はなれない。
だけど、自分の感じることに対して責任を負えるということが、それこそが強い人間ということなんだろうし、またそれは自信であるし力なんだと思う。
自分を含めた人間との関係の中で、その責任と自信のせめぎ合いが、鍵を握っているように感じる。
どこまでも人に対して誠実でありたい。勇気を出して自分の感じたことをぶつけてみたい。本当はそういう人になりたい。
弱いかもしれないけど、自分にはどうしても大切にしたいものがあって、自分が自分を守ってるように感じるのは、そのせいなのかもしれないと思う。
人に押しつけたくないし、押しつけられたくないとか、そういうことが自分にとってはすごく大事で、最大限に尊重したいから、責任を負えないし、自信が持てない。
今、悲しくはない。ただ、時間が過ぎるのが怖くて、不安で、耐えがたくのしかかってきて。
やるべきことからも逃げてるし、それはつまり、自分から逃げてるということだと思ってる。
本当は答えは見えてるような気もする。信じられるかどうか、いつもそこだ。
覚悟を決めて生きていくのは難しいことだと感じる。
こんな自分でも受け入れてくれる人がいるから、いつもいつも、踏みとどまってきた。
気安めだと感じたことなんて本当に一度もない。その恩があるからこそ、自分は今、ここにいるんだって思う。
堂々巡りの、矛盾だらけの、この議論をいつかはやめたいと望んでる。いつかじゃなくて、やめられるのなら、もちろん今すぐにやめたい。
流れてる涙を無理矢理に止めて、とにかく解決しようと答えを出すのは、簡単な方法かもしれないけど、すぐに変わったことはすぐに元に戻るように思う。
心の底から実感したい。本気で新しいところに出たい。そのためだったら、大変な方法でも、絶対的な道を選びたい。
でも、これも弱いところだけど、少しずつというやり方は、あんまり好きじゃないし、得意じゃない。
重い荷物を持たせてもらったことに、恩を感じられるようになりたい。強くなるために悩んできたことに、だ。
絶対にそれができると確信して、明るく前に進みたい。すぐにそうなれなくても、ありのままでいいと許してあげたい。
今はできてないから、そう望むのだけどね。
だから今は、変わりたいと思わせてもらってるということに、感謝できる。
そこに、申し訳ない気持ちはないし、後ろめたさも、わびる気持ちもなく、100%が恩をありがたく感じる感謝の気持ちです。
