この一週間、部屋から一歩も出なかった。頭が重くてめまいがして気持ちが悪かった。
いや、この半年間、ずっとずっと、あらゆることに吐き気がしてた。
支えてもらうことでやっと倒れずにいられたし、言い訳することで分裂もできなくて、追い詰められては逃げて、成し遂げられない自分を責めて壊れそうになってた。
だからこそ、一瞬一瞬の葛藤があって、いつも以上に人の動きに想いを敏感に感じ取ることができて、徐々に満たされてると感じてた。
でも、自分が空っぽであることには変わりがなくて、周りを見渡せばみんな何か大きなものを抱えていて、自分だけが歪んでいて時間軸からさえもズレているように見える。
もうひとつは、空虚であることを言葉にする時の、悲しみ。痛み。
それを冷静に吐き出す自分の存在が邪魔して、分裂できずに、最低な自分をさらけ出して、何も力になれないのに人に求めてた。
最低なだけじゃなくて、誰かを傷つけてる。自分の存在・行動・思考を含めた全てが、誰かを傷付けている。近い存在の人ほど傷付けてきた。
だから、今までは人と本質的に関わることから逃げていると思ってきたけど、実際には空っぽの自分を満たしたくて依存してたんだと思った。
そういったことばかり、見えていた。考えてた。
だけど、願って生まれてきて、今ぶつかっている壁も、実は自分で願っていたことなんだろうということを思った。
抱えているものは何もない。客観的に見れば、今までほとんど不自由なく、大きな困難もなかったと思う。
家族に愛されていたし、要領よく立ち回って、中身もそこそこ悪くない。少し敏感すぎるけど、それは良い方に捉えられることの方が多い。
無駄な努力が嫌いなだけで、自分の好きなことを、わがままばかりをやっても、誰にもとがめられることなく、迷惑をかけたつもりもなくやってきた。
それなのに、空虚な自分、弱い自分、そういう自分ばかり見えて、苦しくなって。簡単に言えば、満たされない人生、不幸な人生だ。
分裂できないのは、ぶっ飛んでしまえないのは、冷静に吐き出している自分は、
やっぱり心の底から信じているものがあるからで。だから、やっぱりまだ生きている。
空っぽの自分で満足するのは難しいことかもしれないけど、根本的にはそういう話がしたい。
矛盾なんていくらでもある。肯定できないことも否定できないことも、曖昧なことの方が多い。
それでも、こんな自分でも、与えることは出来ないかもしれないけど、必死に手を伸ばすことは出来る。
空っぽな自分の中に、実はものすごい力が存在していることを信じること。
空っぽな自分の中に、本当は最高に満たされる自分がいると信じること。
人のために生きたい。苦しんでいたら、助けたい。そばにいるだけでも救われると知っている。
涙はこらえきれない。待っていることは確かだ。
それでも、願っている。決めている。
