New York Times のウェブを読みやすくする

New York Times の記事を読みやすくするために、プリントバージョンを開いて読みます。
かなり個人的な用途ですが、読みやすく&キレイに印刷するために、
Firefox のユーザースタイルシートを書きました。
あと、文字数をカウントする Greasemonkey も書いた。

これを使って、500wordsを1分(500wpm)ぐらいで読めるように精進します。

モヤモヤ

人と関わるのが本当は苦手です。本当は、というか実際苦手です。
友だちは多いんだけど、うまくコミュニケーションできてる自信は無いし、
本当に相手を信じてるのかとか、ちゃんとその人の心に入っていけてるのかとか、いろいろ考えると怖くなる。
心の奥の奥にひとりぼっちの自分がいて(これは多分誰でもそうなんだけど)、
そいつを守るために壁を作ってる自分がすごく嫌で、そんなの無いように見せかけて振る舞ってる。
言葉が苦手だし、100%の理解なんてありえないと冷めてるような自分がいたりする。

本当の自分はどっちなのか分からなくなるぐらい、自分にも嘘をつき続けてきた。
そういう自分を正面から見つめようとすると潰れそうになる。

世界が不幸なのは全部自分のせいなんじゃないかと感じたり、自分は弱いとかダメだとか、
そういうのが傲慢なんだということを、すこーしだけ、感じる。
落ち込んでる時これを人に言われても、どうしても納得できなかったけど、
なんとなく、まだ理由は説明できないけど、少しは分かる。
だから、人の痛みに敏感でありたいと思うのは、わがままだとも思う。
だけど、すごく傲慢だけど、自分はそういう生き方しか知らないし、他の生き方がしたいとも思わない(今のところは)。

人を助けたいけど、何もできない自分に腹が立つのは、傲慢なのか。分からない。
でも、なんとかして自分自身の経験とか思ってることを伝えることができたら、
自分は何かの役に立つことが出来るだろうか。

誠実に生きようとしたら苦しくなるばかりだ。
でも強くなりたいと思う。朗らかに、負けない人に。
こんな自分を助けてくれて最大限に理解してくれる人は本当にたくさんいて、
それは本当に幸せなことなんだと思う。

ここまで書いて、「今の自分・感謝ということ」に通じてるなと思った。
今は前よりは少し具体的な思考が出来るようになってる気がする。
歳取ったなって思うのは、時間が解決してくれることも(たまに)あると思うこと。

ほんとに、言葉と想いが乖離しているアンビバレンツっていうのは、そういう意味で。
モヤモヤしてる。

現実的なあれこれ

ここにきて少し不安定。
頭が重かったり、苦しかったり、小さなことでイライラしたり。
洗濯物/洗い物/ゴミも溜まってるし、タバコも少し増えた。
なんでか分からないけど。秋だからかなぁ。

今日は授業が終わったあと、春休みの語学研修の資料をもらいに国際課に行ったら、
留学生に間違えられました。国際課の人なんだから、留学生の顔ぐらい覚えてください。

しかし、創大祭が終わってからの、1コマの授業に出たなんて自分じゃないみたいです。
何を言ってるのか分からないレベル。
情報社会論の先生が iPod, Mac, Apple批判をして、ユーザーとしては気分が悪いとか。
自分の後ろに座ってた2人が、授業始まってからしゃべりっぱなしで、うるさいと思ってたらスイーツパラダイスに行くとか言って出席だけ書いて出て行きやがったとか。
授業中にアイス食べてる人がいたとか。
大学って不思議、7年目ですが何か

これ全部 Twitter につぶやいたことのまとめ。

秋の空は綺麗すぎて切なくなる

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朝から夜まで、空が綺麗だ。
特に夕焼けは、切なさが倍増する。

ついつい写真をたくさん撮ることになる。

秋の空は綺麗すぎて切なくなる

デジカメの話。今使ってるのは Panasonic LX1 だけど、色味が気に入らないので、RAWでも撮ったんだけど、現像ソフトがないので放置してるところ。
特に灰色と紫はホワイトバランスの影響も出やすいし、うまく表現しきれてない。
そろそろMacでも Photoshop と Illustrator が欲しいなぁ。アカデミックプライスで学生のうちに買っておくことは決まってるんだけど、なかなか踏ん切りがつかない。
新しいフィルムのカメラもデジカメも欲しいし、期間限定でバイトでもしようかな。

大学論

大学論

著者/訳者:阿部 謹也

出版社:日本エディタースクール出版部( 1999-05 )

定価:¥ 1,890

Amazon価格:¥ 1,890

単行本 ( 246 ページ )

ISBN-10 : 4888882924

ISBN-13 : 9784888882927


一橋大学の学長だった著者がいろんなところに出した原稿/スピーチをまとめた本なので、同じ話を何回も読むことになるけど、「教養」とは何か、大学とは何かということについて、分かりやすく理解できる本になっている。

まず、ヨーロッパで個人が発生したのは都市が出来て自分で職業選択の可能性が生まれてきたことと、内面が生まれてきたことが背景にあったことを説明している。内面を発見したことについては、キリスト教の浸透と、1215年のラテラノ公会議において告解(コンフェシオン)が制度になったことをきっかけにいかに、ヨーロッパの人々は生きるかという問いを持ち始めたという。
そして、教養の定義として、「社会の中での自分の位置を知ろうとする努力、あるいは知っている状態、あるいは知ろうとする努力の総体」としている。また個人の教養だけでなく「集団的教養」というものの存在を明らかにし、その定義を「自分たちが社会の進歩にどのように貢献しうるのかを知っている状態」として説明している。

「教養」というのは、何遍も言いますように、「古典を読む」というところから始まったように見えますが、そうではないのです。その前の段階があります。それは「自分はどうすべきかということを考える」ということ。これを敢えてやや抽象的にいえば「いかに生きるべきかを考える」と言うこと。 (p.55)

今日の教養という点では大学に入り、自分を知り自立した自分を発見し、社会と自分との接点を持つことが出発点となることを指摘している。

学生たちは親の絆から離れ、兄弟姉妹や友人との関係を整理し、自立した自分を発見し、そこで初めて世界に目が向くのである。 (p.174)

自分は大学に7年いて、この9月からまた授業に出ているけど、1年生の時に聞いた話が全然違う風に捉えられる。それは、自分と社会に対する認識が過去とは違っていて、より深い理解が得られるように感じている。

また、誠実に生きるということについて、「誠実に生きようと思えば考えるしかない。」と主張し、教養が不可欠であることを述べています。
大学という点では、ナチズムに繋がったベルリン大学が世俗社会から離れた「象牙の塔」であった反省をふまえて、こう述べています。

大学の主体性は世俗社会に対しての主体性であるということになる。かつての大学は象牙の塔として、あるいはエリート集団としての特権を持ち、世俗社会に対して超然とした姿勢をもっていた。これからの大学はそのようなものではなく、世俗社会の中にありながら、世俗社会を越えた視線をもっている人々の集団でなければならないのである。 (p.141)

この辺のところは、池田先生の思想にも繋がるところだ。第3回創価大学入学式のスピーチ「創造的人間たれ」に、

創価大学は、皆さんの大学であります。同時に、それは、社会から隔離された象牙の塔ではなく、新しい歴史を開く、限りない未来性をはらんだ、人類の希望の塔でなくてはならない。ここに立脚して、人類のために、社会の人々のために、無名の庶民の幸福のために、何をすべきか、何をすることができるのかというこの一点に対する思索、努力だけは、永久に忘れてはならない
(池田大作, 1973年, 「創造的人間たれ」創価大学自治会編『創立者の語らい1』)

とある。目的意識を失った知識ほど危険なものはない。オウム真理教等はその最たるものとして挙げられる。創価大学は、人間主義の哲学を根本として、人間のための価値創造を目指す大学だ。そこを忘れては、創価大学での学問にはならない。

また、この本の最後の方にカール・シュミットという社会学者の言葉を引用している。

人間は自分がおかれている環境にうまく適用している限りでその環境の本質を理解することは出来ない (p.230)

これは、自分にとってすごく意味の大きい言葉だと思えて、感動した。社会不適合というか、まぁ少々「生きづらさ」を感じてきた自分だからこそ、社会を本質的に理解することができるんだという風に思えるから。薄々感じてきたことではあるけど、社会学というのはそういう学問なんだと思う。ちょっと斜めから見るというか、すくなくとも正面から見ていたのでは見えない社会の本質を暴こうとしていて、ただしそれを放っておくのではなくて、社会学は人に問題意識を与えることにもなるし、社会を変えていこうとする気持ちから出発しているんだと思う。

さてさて、授業とこの文献を元に、「比較文化原論小レポート」を書かなくちゃいけないんだけど、うまくまとまらない。文章下手だ。5年前に書いたのはここにあるけど、設問と文字数がちょっと違うし、同じこと書いてもしょうがないし…。妥協できない性格だけに、レポートは困りますねぇ。適当にやろうっと。