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recently…

急に落ち込んだり、一日中Macの前に座ってたり、お金がなくてコーラだけ買ってきたり。
思ってることはたくさんあるのに、外に出すのが難しくて、寝る前になって急に悲しみがこみ上げてきて泣きまくったりする時もある。
基本的に部屋は真っ暗で、だけど割と早く寝て早く起きてる方だと思う。

写真をもう一度ちゃんとやろうと思ってるけど、外に出ることがあまりなくて、秋の空を部屋から眺めてるだけ。
Tumblr は、自分が気になった画像とか言葉とかを張り付けてる。
他の人の投稿をそのまま転載する reblog は、すごく斬新なアイデア。何も考えず、ひたすらに。

Mac OS X 10.5 Leopard をさっき注文しちゃいました。ついでに iWork と iLife も。
Apple Store に行って楽しもうかとも思ったけど、アカデミックライセンスで買うの面倒なことになりそうだから、確実な方で。
Mac にお金使うのは、ほんとに信仰に似てるなと思うね。
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月光

ITmedia News:あの「月光」がインクジェット用紙で復活

何の話かって、紙の話。「月光」、復活。
マニアックすぎてどうしようもないけど、自分はGEKKOの色が好きだったな。

銀塩の印画紙の選択肢がものすごく狭くなりつつある昨今。
フジもいいけど、みんな仕上がりは追求したいところだよね

とにかく、時代の変化とはこういうものか。ビジネスはおもしろい。

悩んでもがいて苦しんで

長所: 物事を順序立てて考える
短所: 繊細すぎる
↑高校の時に親がこう書いてました。

心を開くってことはどんなことだろうって思う。

写真が好きだ。
自分が写真に向いてるかは分からないけど、好きで信じられる手段。少なくとも言葉よりは。

写真には全部出てしまうけど、隠すこともできると思う。出さないことは違う。
感情も価値も隠された嘘さえも作られた現実で、それが出てないものは写真じゃないと思う。
絵画との違いはここかもしれない。写真には、その現実が作られた過程はまったく関係がない。.
写真は、その現実をどう見つめるのかを切り取っている。そこから、真実が生まれる。
でも、意味なんてないと思う。

問題はきっとシンプルなのに、解くのは難しいから遠回りをしてしまう。
悩むのは悪いことじゃないっていうのはネガティブなのにポジティブ。

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逃げても逃げても追いかけてくる

はぁーーーーーーーーってなっちゃった。
なんでだよー、頑張れよー

本日、卒論テーマ〆切です。 決めてないです。

この写真、フィルムで撮ってたらプリントの時、どう焼き込むか考えるのがすごく楽しい。そう思いながら撮った(気持ち悪いね)。プリントだけじゃなくて、グラフィック的な考え方というか、やっぱり写真はグラフィックつうか視覚的効果みたいなものに使いやすい媒体だと思う。
でも、どう処理したら面白くなるか考えながら撮る写真は、いろいろ弄り終わったあと、イマイチ感に苛まれます。
そして、最近撮るのはどの写真もこの構図で、頭がおかしくなりそうです。意味はあるんだろうけど。というか少しずつ気付いちゃいるけど。

もうね、全然違う話題にしてごまかしてます。それ自体、逃げてる証拠なんだろうか。
自分の弱さとの戦いだって分かってて、自分のことで悩んでばっかりで、そんな矛盾してる自分をどうにかこうにか立たせようとしてるのに、邪魔しようとするもう一人の自分が大きくなってきてしまって。
逃げても逃げても追いかけてきます。諦められないんでしょうか。諦めてほしいです。冷静に考えたいです。

どっか行く気もしないよー
ネガティブなまま日記を終わらせるのは気が引けるものだけど、無理矢理にポジティブにしようとする方がもっと嫌だ。

今しかない

そうなのよ 史上最強の桜撮ってみせますよ
この桜を見て自分にしかできないことがあると思いました
だから 写真部でも勝つと腹を決めました

今 自分はなんでここにいるんだろうって思う
一生後悔するんじゃねえかとか不安もある
だけど それよりも 「後悔先に立たず」
先に立つのは決意だけだと思うんです

中国列車

旅ばっか夢見てる

中国列車

北京

ホーチミン

禁煙なんてできるわけないよね。

ひとつのところにとどまることなく、
ずっとフラフラしてたいと思ってしまう
行けるならどこにでも行きたい

リルケ

ー名字の言ー 深きに就く 2005年10月1日

 100年ほど前のドイツ。詩人を目指す若者がいた。出版社に作品を送っても、なしのつぶて。他人の作品の方がずっと良くみえてくる。ぐらつく自信。

 若者は、自作の詩を著名な詩人リルケに送り、“評価”を求めた。リルケは返書にしたためる。一番やってはいけないこと――それは他人の評価に一喜一憂することだ、と。

 さらに、自身に問うべきは「書くことを拒まれたならばあなたは死ななければならないかどうか」。「書かなくても生きて行けるということを感じるならば、もうそれだけで詩人になる資格はない」(中村ちよ訳『若き詩人への手紙』)。

 自身の生命を懸けて悔いなき情熱はあるか――詩人は鋭く問いかける。これはまた、人生を深く生き抜く知恵を示していよう。岐路に立った時こそ、自分に問うてみる。己の全存在をかけても、やるべきものかどうか、と。おのずと答えは出るだろう。再び踏み出す一歩には、決然たる力強さが、こもるにちがいない。

 御書に「浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり」(310ページ)と。地位も名誉もいらぬ、ただ広宣流布のために――この大情熱こそ、歴代会長と同志の胸に燃える学会精神である。新しい勝利の峰へ、完全燃焼の日々でありたい。

これを読んで、ハッとした。写真に置き換えたら「撮ることを拒まれたならばあなたは死ななければならないかどうか」「写真を撮らないでも生きていけるということを感じるならば、もうそれだけで写真家になる資格はない」ということだ。
写真家になるつもりはあんまりないんだけどさ(曖昧)、それはそれは凄いことだよ。
死ななければいけないかどうか。突き刺さるね。

やっと授業に出る気がしてきたような…

ああ、タイトルに書いたことは本当かウソか。そもそも、出る気があるから出るもんじゃないんだよ。

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さっき、コンビニに行く途中、見たもの。
帰りに近所のおばちゃんに「おはようございます」と挨拶した。

デジカメが欲しい。もうこんな画像には満足してられないっすよ。普通に写ってるように見えるけど、さまざま工夫を凝らしてカメラの性能を最高に引き出してあげてコレだからな…ズームしたらピント合わないし、マクロ機能も使えないし。
シャッターボタン押せば撮れるやつでもいいけど、やっぱり絞り優先ぐらいほしいよなぁ。

Panasonic LUMIX DMC-LC1

Panasonic LUMIX DMC-LC1

カテゴリ:エレクトロニクス

発売日:2004-03-19


Panasonic LUMIX DMC-LC1欲しい。フルマニュアルデジタルカメラだよ、まあ少しデカイんだけど。でも、家電メーカーのデジタルカメラってどうなのよ。これはライカレンズなのでまだ許せる気もするけど…ちょっと勇気が要るね。
家電メーカーのデジカメって、コンパクトにまとまっていて、価格もほどほどなものが多いので妥協しそうになる。CONTAX TVS2 DIGITALとか出てたら間違いなくそれなんだけどなぁ、CONTAXブランドがなくなったのは計算外。Canonもいまいちだし。最後はRICOHかな。
あーあ。迷っちゃう。金に射止をつけないとしてもコレだっていうものが見当たらない。デジカメ売り場でも行くかなぁ。

言語と思考 3 表現すること

考えたことをココに書くことによって前に進むと信じる、みんなでそれをするためにこのサイトを作ったと、昨日書いた。コレはもちろん言葉のみを指すのではなく、自分にとっては写真で表現することでもあって、このサイトに自分の撮った写真を載せることも何らかの意味があると考えてる。

人間同士のコミュニケーションは大半が言葉に頼っていると認めざるを得ない。でも自分は、言いたいことをいつも言えてない、いつもだ。自分の中にある気持ちを完全に言いえるような言葉は見当たらないし、自分から発した言葉は受け取る人の持ち物になる。言葉は他人が作ったものという気持ちが強いのかもしれない。もちろん他の表現手段にも言えることだけど、完全に伝える手段なんて存在しない。でも、だからこそ、コミュニケーションが成立するんだけどね(そこに必ず誤解があるという前提があるから話そうとする)。自分が言いたいのは、つまり、言葉を絶対視できないということ。一枚の写真が百万冊の本に優る表現を持つことだってあるでしょ。

さて、昨日の文章を書いて思ったのは、表現することによって思考が生まれてるんじゃないのかなってことだ。まだ深く考えてないから分からないけど。表現手段は何だっていい、写真でも絵でも音楽でも、ファッションでもいいし、その人の部屋でもいい。自分の表現によって思考が生まれ、思考によってまた表現が生まれる。そういうようなことじゃないかと。

こういうような話をくだらないと思う人もいるかもしれない、どっちだっていいじゃないかと。そう思う人はそれでいいんだ、間違ってないよ。だけど、自分は思考停止になるのが怖いんだ。
はあ。誰かこういう研究をしてる人を知ってるだろうか。言語学とかなのかな、芸術論?記号論? うーん、勉強が足りなくてあまりよく知らないけど、構造主義とかも関係ありそうだ。学びについてで引用した内田さんの本も読んでみたいな。興味深そうな感じがする。早く本を探せよ、自分。

いやいや、この話は長くなりそうだ。卒論にするかな(やけに社会学科っぽいじゃんね、いや哲学か。文化とかコミュニケーションにつなげたいので社会学でいくことにしよう)。本筋から遠のいていろいろ考えたりしてるから、いつまでも結論が出ない。仮説を立てようかとも思ったけど、そうすると見えるものが見えなくなるような気がして嫌だったから止めた。自分の立場を曖昧にさせておくのは自分の悪い癖だけど、立場を決めてしまえば本当のものを見ないフリをして簡単にウソがつけるようになる気がして怖いんだ。それが自分のスタンスだと思ってくれたらいい。はっきり言って、そんなのはまだまだ甘いですが。

AgfaPhotoが破産

フィルム大手のAgfaPhotoが破産
(Yahoo!ニュース – ITmediaニュース – フィルム大手のAgfaPhotoが破産)


 ベルギーのAgfa-Gevaertは5月27日、写真フィルムの世界大手AgfaPhotoが破産申請を行ったと発表した。Agfa-Gevaertは昨年11月2日付でコンシューマーイメージング事業を投資家グループに売却、以後、AgfaPhotoの社名で運営が続けられていた。
 Agfa-GevaertではAgfaPhotoの破綻による実質的な影響は受けない見通しだと説明。このような事態になったのは残念だが、今後は破産管財人およびすべての関係者と協力する用意があると表明している。
http://www.itmedia.co.jp/news/

(ITmediaニュース) – 5月28日21時11分更新

写真界でフィルムの時代が終わりました。コンタックスも消えたし、写真はもうどうなってしまうか分からない。
個人的にデジタルは…あまり好きじゃないんだ。つまり、デジタルのデータについて知れば知るほど、奥が深くないことが分かる。デジタルデータの「本質」は、どこまで行っても0と1。0と1ですべてを構成して、0と1をものすごく細かい単位でたくさん集めて並べると、境目が見えないようになる。簡単に例えるなら、アナログが坂で、デジタルが階段。デジタル化するっていうことは(基本的に)、坂を段差が小さい階段に工事すること。坂の勾配を変えたりすること(データを加工すること)も段差を大きくするだけだから、簡単になる。だけど、そこには小さいけど確かに段差が存在する、間違いなく階段。表面は滑らかかもしれないけど坂じゃない。
人間の世界は、というか有機的なこの自然界では、階段は存在しない。均一な直線も存在しない。特に、人間が直接生産するしか手段がない、芸術とかそういう分野で、最も大切なことは「人間が生産した」という事実だと思う。それ以外の事実は意味を持たない、つまり簡略化することは意味がないと思うわけよ。

生活はこんなにデジタルにまみれてるのに、どうしてこんなに拒否感が強いんだろう。

デジタルだから写真じゃないとは思わない。どっちでもいいんだけど。ただ、「写真」=「データ」になるのが嫌なのかも。「写真」って言ったらプリントで(手に持って直接目で見える形で)持って来い、みたいな。パソコンでテレビ見たくない、みたいな感じ(ちょっと違うけど。テレビの放送はテレビっていう機械で見たい)。データがプリントされない状態が、フィルムでいうネガの状態っていうように置き換わるのも違和感だしな。

音楽のメディアで言えば、レコード→テープ→CD→MD→HDDと同じことで。でもレコードは死んでないみたいな。そう、死んでないし、HDDの中にも無圧縮のデータが存在してる(データ自体はデジタルなんだけどメディアとしてはアナログ。坂の勾配を保ったままデジタルで保存する新しい技術がある。これはバリアブルデータという名前で呼ばれている)。写真なら、今はRAWデータだけど、そのバリアブルデータの技術がちゃんと整備されてれば安心感があるかもなぁ。「人間が生産した」事実を曲げずにとっておけるから。

とりあえず、今の印刷技術(出力系の機材)は大したことないというか、自分の身の回りでデジタルのデータをそのまま再現するようなプリンターを見たことがないからかもしれない。ディスプレイ上ではものすごく綺麗なのに印刷したらそうでもないっていうことが大半でしょ。
結局、自分は、写真は「形」(手に持てる、幅と高さと奥行きのある3次元の空間に存在するもの)として表したときに、どうなのかが見たいのよ、特に展示っていうものがある限りは。この価値観さえ今後どうなっていくのか分からないけど。

クラブがどうなるかはまた別問題だな。10年後の写真部を考えるとき、展示の必要性とか展示のあり方自体が変わるし。「写真」ていうか「展示」か。考えなきゃいけないのは。写真は楽しめばいいもんだし。

とにかく、方法によって芸術は規定できないことは確かなんだよね。世界中の人が音楽をCDで聞いてるし、それによって感動してるからね、アナログじゃなきゃ感動できない人間なんて居ない。