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大学を辞めるのか問題

修士論文の代わりに退学願を提出してきた – As a Futurist…

一度会ったことのある riywo くんのエントリー読んで、自分も今悩んでることを書いてみたくなったんだけど、あんまり頭が回らないので、上手くまとまらないかもしれない。それでも久しぶりに書いてみることにする。

自分のことを知らない人には少し説明が必要かもしれないので。私は今大学の文学部社会学科に在学7年目(うち休学1年半)で、単位は卒業規定の半分ぐらいしか取ってないダメ人間であります。体調を崩した時期もあったけど、大抵途中で行かなくなったり最初から行かなかったり云々です。

今期は10月半ばまで順調に出席してたんだけど、ある朝突然に行く気がなくなった。多分疲れてたのもあるんだろうけど、その後の授業も試験も行かなかった。ここに来て悩むなんて9月の時には考えてなかったけど、もう在学8年のタイムリミットも近いし、辞めるのか本気で考えてる。

正直言って、ドロップアウトするのが怖いだけのような気もする。もう一度挑戦して失敗して傷付くことと、挑戦せずに諦めること、どっちにしても後悔が残る気がして、全然話が前に進んでない。「卒業したい」という理由だけでここまでやってきた。何十回も、散々自分に問いかけて諦めきれずに残ってきた。勉強は好きでも、「やりたくないことを無理矢理やっている感」があったのは確かだし、「寒い」とか「眠い」の方が上だったと思うと、自分の情けなさに死にたくなる。

「大学」「学問」とか、「教育」について、自分もいろいろ考えてきた。出席だけしていれば単位がもらえるなら、授業料を誰に払っているのか分からない。課題を出されても、単位を出すか出さないかの篩(ふるい)にかけられてるような問題に、Wikipedia があれば解決することをレポートに書く気はしなかった。高校生の時から、大学に行けば学問が出来ると過剰に期待してたせいもあって1年生で絶望した。全ては受け身になっていた自分のせいで、大学を責める気はさらさらない。

悩んでもそれを乗り越えて輝く姿を後輩にも両親にも見せたいと思ってるんだけど、今はどうしたらいいか分かりません。でも4月までには結論を出さなければいけないし、本当にこのままじゃ終われない。

現実的なあれこれ

ここにきて少し不安定。
頭が重かったり、苦しかったり、小さなことでイライラしたり。
洗濯物/洗い物/ゴミも溜まってるし、タバコも少し増えた。
なんでか分からないけど。秋だからかなぁ。

今日は授業が終わったあと、春休みの語学研修の資料をもらいに国際課に行ったら、
留学生に間違えられました。国際課の人なんだから、留学生の顔ぐらい覚えてください。

しかし、創大祭が終わってからの、1コマの授業に出たなんて自分じゃないみたいです。
何を言ってるのか分からないレベル。
情報社会論の先生が iPod, Mac, Apple批判をして、ユーザーとしては気分が悪いとか。
自分の後ろに座ってた2人が、授業始まってからしゃべりっぱなしで、うるさいと思ってたらスイーツパラダイスに行くとか言って出席だけ書いて出て行きやがったとか。
授業中にアイス食べてる人がいたとか。
大学って不思議、7年目ですが何か

これ全部 Twitter につぶやいたことのまとめ。

大学論

大学論

著者/訳者:阿部 謹也

出版社:日本エディタースクール出版部( 1999-05 )

定価:¥ 1,890

Amazon価格:¥ 1,890

単行本 ( 246 ページ )

ISBN-10 : 4888882924

ISBN-13 : 9784888882927


一橋大学の学長だった著者がいろんなところに出した原稿/スピーチをまとめた本なので、同じ話を何回も読むことになるけど、「教養」とは何か、大学とは何かということについて、分かりやすく理解できる本になっている。

まず、ヨーロッパで個人が発生したのは都市が出来て自分で職業選択の可能性が生まれてきたことと、内面が生まれてきたことが背景にあったことを説明している。内面を発見したことについては、キリスト教の浸透と、1215年のラテラノ公会議において告解(コンフェシオン)が制度になったことをきっかけにいかに、ヨーロッパの人々は生きるかという問いを持ち始めたという。
そして、教養の定義として、「社会の中での自分の位置を知ろうとする努力、あるいは知っている状態、あるいは知ろうとする努力の総体」としている。また個人の教養だけでなく「集団的教養」というものの存在を明らかにし、その定義を「自分たちが社会の進歩にどのように貢献しうるのかを知っている状態」として説明している。

「教養」というのは、何遍も言いますように、「古典を読む」というところから始まったように見えますが、そうではないのです。その前の段階があります。それは「自分はどうすべきかということを考える」ということ。これを敢えてやや抽象的にいえば「いかに生きるべきかを考える」と言うこと。 (p.55)

今日の教養という点では大学に入り、自分を知り自立した自分を発見し、社会と自分との接点を持つことが出発点となることを指摘している。

学生たちは親の絆から離れ、兄弟姉妹や友人との関係を整理し、自立した自分を発見し、そこで初めて世界に目が向くのである。 (p.174)

自分は大学に7年いて、この9月からまた授業に出ているけど、1年生の時に聞いた話が全然違う風に捉えられる。それは、自分と社会に対する認識が過去とは違っていて、より深い理解が得られるように感じている。

また、誠実に生きるということについて、「誠実に生きようと思えば考えるしかない。」と主張し、教養が不可欠であることを述べています。
大学という点では、ナチズムに繋がったベルリン大学が世俗社会から離れた「象牙の塔」であった反省をふまえて、こう述べています。

大学の主体性は世俗社会に対しての主体性であるということになる。かつての大学は象牙の塔として、あるいはエリート集団としての特権を持ち、世俗社会に対して超然とした姿勢をもっていた。これからの大学はそのようなものではなく、世俗社会の中にありながら、世俗社会を越えた視線をもっている人々の集団でなければならないのである。 (p.141)

この辺のところは、池田先生の思想にも繋がるところだ。第3回創価大学入学式のスピーチ「創造的人間たれ」に、

創価大学は、皆さんの大学であります。同時に、それは、社会から隔離された象牙の塔ではなく、新しい歴史を開く、限りない未来性をはらんだ、人類の希望の塔でなくてはならない。ここに立脚して、人類のために、社会の人々のために、無名の庶民の幸福のために、何をすべきか、何をすることができるのかというこの一点に対する思索、努力だけは、永久に忘れてはならない
(池田大作, 1973年, 「創造的人間たれ」創価大学自治会編『創立者の語らい1』)

とある。目的意識を失った知識ほど危険なものはない。オウム真理教等はその最たるものとして挙げられる。創価大学は、人間主義の哲学を根本として、人間のための価値創造を目指す大学だ。そこを忘れては、創価大学での学問にはならない。

また、この本の最後の方にカール・シュミットという社会学者の言葉を引用している。

人間は自分がおかれている環境にうまく適用している限りでその環境の本質を理解することは出来ない (p.230)

これは、自分にとってすごく意味の大きい言葉だと思えて、感動した。社会不適合というか、まぁ少々「生きづらさ」を感じてきた自分だからこそ、社会を本質的に理解することができるんだという風に思えるから。薄々感じてきたことではあるけど、社会学というのはそういう学問なんだと思う。ちょっと斜めから見るというか、すくなくとも正面から見ていたのでは見えない社会の本質を暴こうとしていて、ただしそれを放っておくのではなくて、社会学は人に問題意識を与えることにもなるし、社会を変えていこうとする気持ちから出発しているんだと思う。

さてさて、授業とこの文献を元に、「比較文化原論小レポート」を書かなくちゃいけないんだけど、うまくまとまらない。文章下手だ。5年前に書いたのはここにあるけど、設問と文字数がちょっと違うし、同じこと書いてもしょうがないし…。妥協できない性格だけに、レポートは困りますねぇ。適当にやろうっと。

アウトプット

最近本を読んだり授業に出たりでインプットが多いので、
箇条書きだけど思ってることをアウトプット。
バランス取っていきましょう。

  • 寒い ファンヒーター我慢するの必死
  • ブックオフ半額セールで本を大量購入、アマゾンでもいろいろ買った
  • 授業行ってる 現代文化人類学/情報社会論などが面白い
  • どこに行くか分からなくても、今いる場所で出来ることを頑張って積み上げていくこと(足し算の思考)に、実感を持てるようになってきた。
    今までは目指すべきゴールからの逆算(引き算の思考)しかなくて、ゴールを見失ってたから身動きが取れなかった。
  • 2年前とは気持ち的に全然違うけど、↑は、ずっと考えてたこと

    流れを変える時は
    どこに行くかなんて分かんない
    それで得たもの与えられたもので
    満たされない自分にはなりたくない

  • ただし、今は卒業という目標がかなり明確になってるからかもしれない
  • 考えながら動くことはできてるだろうか 両方同時にできるようになりたい願望
  • 不安はたくさんあるけど、あまり暗い部分は見ていない 悲しみを捕らえて放さないようにしたい
  • 現実の生活の中で具体的に考えることは大切。当たり前のようだけど、自分は苦手な方というか今まで出来てなかったと思う

書いてて思ったけど、考えたことを振り返れるからブログ/日記はとても良いもの。
これからもちゃんと続けようっと。適当に。

後悔先に立たず

後期から、大学に戻ろうと思ってます。
もう休学期間も半期しか残ってないし、
単位も本当にギリギリな状態だけど、
卒業に向かって邁進するしかない。

正直、やっぱり自信がなくて怖い。
「後悔先に立たず」って言葉が重くのしかかってくる。
後悔するかもしれないけど、先のことは分からない。

自分で決めたことを、一生懸命にやるしかない。
何度も挫折して諦めてボロボロになったけど、
どうしても創価大学を卒業したいから、まだここにいる。
現実にやるべきことを一つずつやっていくしかない。

違反切符・オイル交換

久しぶりに一時停止不停止で違反切符切られた。3年ぶりぐらい。
嫌々ながら頑張って学校の図書館に行こうとしてた途中だったので、テンションがた落ち。
なんだろね、あのイヤーな感じは。捕まった人じゃなきゃわかんないと思うけど。

そんで、図書館行って適当に本を選んで、すぐ帰ってきた。

最近バイクのエンジンがカラカラ鳴ってるからオイル交換しようと思ってたんだけど、
オイルタンクの蓋が開かないから、バイクショップに行ってやってもらった。
思ったより安くて1000円。今度からやってもらおう。今メーターは11,200kmぐらい。
エンジンがすこぶる快調になったよ。

いろいろな出来事や想い

1時過ぎに目が覚めてしまった。11時頃、朝(せめて明け方)まで寝ようと思ってたのに。
大体寝起きは、何時に起きても気分が悪くて、特に夜中に目覚めるのはすごく不安になったりする。

昨日は結局、体調悪いし眠いしで結局ずっと寝っぱなしでした。予定も何もあったもんじゃない。
嫌な夢をたくさん見て、振り回されて、結構しんどかったけど、夜の3時には寝ました。

そして今日は、朝6時頃目覚めてから2時間ぐらいぼーっとして、朝ご飯を食べて、洗濯をして、学校に行った。
授業には出てないけど、もう一度学生課の方と相談してみようと思って。
何ごとも、自分の方から話しかけるのは苦手なので、「相談」となるとまたやっかいだけど、今日は必死になっていろんな想いをぶつけてみた。とにかく、やってみなきゃ分からないっていうことだけは確かで、先のことを不安に思のは当たり前だけど、その必要は全くないんだなと自分に言い聞かせる。

スロー・ドーン / The eskargot miles / CD ( Music )

LASTRUM( 2006-06-07 )

定価:¥ 1,680 ( 中古価格 ¥ 908 より )



話は変わって、福岡の SUN SET LIVE にも行っちゃった、我らが The eskargot miles
どこまで行っちゃうのか気になるところだけど、私は、今でもあななた達をとても愛しているし、ライブにも行けてなくて寂しいけど、ずっとずっと、I’m one of your beggest fun だからね。SUN SET 死ぬほど行きたかったんだけどなぁ…。ま、しゃぁないですわ。

写真にしても同じことが言えるんだけど、自分がやりたいことを普通にやれないのが一番キツイね。

とにかく、明日は(もう今日だけれども)、今週の体調不良を訴えに病院に行ってみようかと思ってます。
いきなり不安定になったので、少し話したい。病院も電車も嫌いだけど。ま、しゃぁないですね。

予定を立てる

完全に寝るタイミングを逃したなぁ。どうしよ。
今日は天気が良くて気温も高くなるみたいだけど。
できれば4コマの文化人類学の授業に出るのと、学生課の人ともう一度相談するために、学校に普通に行きたいと思います。
それが散歩になってもよし。
うーん、寝ないで午前中に行くのもアリだけど…。

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教室はもっと明るい

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本当は、もっともっと実践的なこと、やりたいことがあるはずなのに、ここに居続ける意味はあるんだろうか。
と、自問自答すべきなんだ。 勉学ってなんだろう、学問ってなんだろう。

いや、ここにも、あるんだよね、本当は。考えることは嫌いじゃない。というか、大好きだ。
この最高の環境で、先生方の大多数はいい講義をしてくれてる。それも分かってる。
だけど、受け身で聴き続けても答えが出ないことなんて、明白なことなんだよね。大学に入ってからほとんどすぐ、そのことに気付いてしまったんだと思う。
なのに、学問は果てしない道に思える。研究するということはそういうことだから、当然のことだけど、ゴールが全然見えない。まだ答えがない、というか、問題すらはっきりしてない。
だから、自分には、ずっとずっと、心の奥底に沈んでいて離れない無力感がある。自分が何かの本を読んだり、ものごとについて考えてみたりしても、それはたくさんある答えのうちのひとつでしかなくて、問題はもっと複雑で答えはもっと違うところにあるんじゃないかと思えば、数時間で書いたレポートに自信なんて持てない。
そのうちに、敗北感にとらわれて考えるのをやめてしまった。
それももう全部、言い訳なんだけどね、その単純な結果がこの立場につながってるんだと思う。

言い訳しないとやってられないのかって話ですけど、やってられませんよ。だって、何の理由もなく、人の金で生活する時期はもう過ぎてると自覚してるから。それだけじゃなくて、もちろん良い意味での言い訳っていうのも必要だと思う。大きなことを言えば、自分の存在価値みたいなものは、全部生きるための言い訳なんだと思う。

とにかく、無力感に打ち勝つには。
まず、自分の問題をはっきりさせたい、と思う。
もうひとつ。現時点で納得いくまで考えて出した結論には自信を持とう。
自分で出した答えは、自分にとって全てであって、人の出した答えよりもリアリティーがあるはずなんだ。そのことに確信が持てるように、やるべきことを全てに優先してやっていけば、だんだん自分のやりたいことが見えてくるはずだと思う。

眠いよー

眠い。ただいま朝の8時22分。1コマから授業なので寝ないで行きますよ。
昨日は昼過ぎに起きてしまって全滅だったので、今日は行くって決めてたんだけど…。

いや、行くよ!
自分に言い訳をするためにここに書くワケじゃなくてさ、自分を高めるために無理矢理にでも言葉にしようと思って。

雨が降ってるから、空いてるかなー。

ねむいなー